現地・日本スタッフで切り抜けた「タイ洪水」。
タイ洪水
ゴムノイナキの歴史上で、最も甚大な被害をもたらした
2011年の「タイ洪水による工場被災」。
「今やっと普通に話せますが本当に辛かった」と、被災時をよく知る営業の波多野課長に当時を振り返っていただきました。
自社史上最大の被害となった「タイ洪水」。
すべては、2011年のタイ洪水から始まった。
株式会社ナカシマ様と当社(以降:ナカシマ)との合弁会社で、タイのゴム製造工場である「NAKASHIMA RUBBER (THAILAND) CO.,LTD.」(以降:NRT)が洪水により被災したのは2011年10月9日のことでした。雨季に入った6月くらいから降り続いた大雨により、チャオプラヤ川流域を中心にタイ北部から洪水被害が拡大していきました。「10月4日にタイ北部の工業団地で洪水が発生した」との情報でお客様からも心配される声があり、SIAMNAK TRADING CO.,LTD.(ゴムノイナキのタイ拠点 以降:SIAMNAK)、NRTと連絡を取り合いながら出来る限りの備えをしてきたつもりでしたが・・・。水源から離れたNRTが、まさかあれほどの被害に遭うとは、当時の私はもちろん現地のスタッフも想像すら出来ませんでした。
その年、例年の1.5~2倍近い降水量に達したこと、ダムの放水量が増加したことによりチャオプラヤ川が氾濫、甚大な被害をもたらしました。800名を超える犠牲者と、多くの日系企業が入居する7つの工業団地、804の企業が浸水した大災害です。早い時期にホンダさんやニコンさんなど多くの日系企業も被災しています。日本のメディアでも取り上げられ、完全に沈んでしまった工場と多数の自動車の映像をご記憶の方もいらっしゃると思います。
10月4日、最初に被害を受けたのはチャオプラヤ川上流域にあるサハラタナナコン工業団地です。この時、NRTが入居しているロジャーナ工業団地の周りの水田や畑、河川の水位に異常はなく、洪水の気配は全く感じられなかったそうです。5日から7日にかけて当時のインラック首相がアユタヤを2~3度訪問し、「ロジャーナへは絶対に水を入れない!」と宣言しています。ロジャーナ工業団地にはホンダさんも入居しており、他の工業団地とは別格の扱いで、軍隊を導入して土嚢を積み上げるなど国を挙げて守っていたそうです。6日にはゴムノイナキ、ナカシマより「警戒」を呼び掛け、低い位置にある材料や製品、金型を高所へ移動しました。止められる機械は止め、電子制御部分を外して高所へ保管、工場入口には土嚢を積み上げて万が一に備えました。7日から日本人スタッフとタイ人マネージャーは24H体制で工場に待機、警戒にあたっていました。しかし9日の朝、NRTにいよいよ水が浸入し始め急激に増水、水位は一気に腰のあたりまで来たそうです。NRTから「避難する!」との電話連絡を受けたSIAMNAKスタッフが現場へ急行、状況を確認してゴムノイナキへ緊急連絡をしていますが、その後は電話回線がパンク状態になりました。
10月9日の日曜日、その日私は同僚と二人で大高本社へ出社していました。溜まっていた仕事の整理もありましたが、前の週にサハラタナナコン工業団地で洪水が発生したとの情報から、SIAMNAKやNRTに問題が無い事を日々確認する必要があったからです。そこに突然「ロジャーナ工業団地が浸水した」との情報が入りました。急いでSIAMNAKスタッフ、NRTスタッフに電話したものの音信不通状態、ようやくSIAMNAKスタッフと連絡がとれたのは夕方近くになっていました。
「ロジャーナ工業団地一体が水没し立ち入ることもできない状況だ」との情報はすぐさま役員へ報告、さらに、多くのNRT生産部品をお取り引き頂いているお客様の調達担当様へも緊急連絡をしています。“とんでもないことが起きてしまった”大きな不安に襲われたことを覚えています。その日から極限状態の毎日が始まりました。
翌日早朝から、役員をはじめ関係者を招集しての「緊急会議」が開催されました。刻一刻と情報が集まり、深刻な状況が明らかになっていきます。水没したロジャーナ工業団地内では、他の工場の従業員が感電死する事故が起きている危険な状況の中、NRTスタッフが手漕ぎボートで工場に入り様子を確認しています。工場を飲み込んだ水の深さはおよそ3メートルはありました。よどんだ水面からINJ成型機のシリンダー上部だけが顔を出している異様な画像を見たときは言葉が出ませんでした。成型機、金型、材料資材、製品在庫、帳票類、全てのものが水没し、NRTは完全にその機能を失いました。
被災した対象部品はどれほどあるのか、製品在庫と流動数量、お客様の在庫が途切れるデッドラインはいつなのか、グローバルに情報が集められました。在庫が枯渇する部品は早いもので1ヶ月後、その他の部品も猶予はありません。バックアップ金型の起工計画と生産場所の確保に奔走しましたが、残念ながら全ての部品を自社独力で挽回することは困難でした。
対策会議は連日連夜開催されました。そんな中、状況確認の為お客様が大高本社にお越しになりました。「ありのままを見て頂こう。」役員の判断で、対策会議で明らかになったバックアップ金型の対応キャパが記入されたホワイトボードをそのままお見せしました。被災した部品点数に遠く及ばないその内容はお客様を落胆させてしまうものでした。しかし、この時全てをさらけ出したことは対応のスピードを早める事になりました。生々しい激闘の痕を見て頂けたことで、早いタイミングでお客様にご協力を仰ぐことが出来ました。お客様は、普段我々と競合している多くのサプライヤーさんにお声掛けして頂き、バックアップ金型の製作から部品供給までの体制を整えて下さったのです。もちろん、協力会社の皆様にもたくさん助けられました。取引実績のない中国の巨大ゴム製造メーカーに緊急のご支援をお願い出来たのも、これまで助け合ってきた人とのつながりがあったからです。あの時、多くの方々のご厚意により、この難局を乗り切る確かな希望が生まれました。不眠不休の過酷な毎日の中で、目頭が熱くなったことは今でも思い出されます。
現地での復旧作業は、24時間体制で進んだ。
NRTの復旧を急がねばならないものの、いつ水が引くのか見当もつきません。そんな中、「ダイバーが潜水して金型を引き上げた。」との驚くべきニュースが飛び込んできました。ダイビングスーツで酸素ボンベを背負ったダイバーが活躍している画を想像しましたが、メール送信されてきた画像を見て驚きました。NRTスタッフが何の装備も付けずに素潜りで金型を探し、ワイヤーを掛け、人力でボートに引き上げています。全く、彼らの活躍には驚かされ勇気をもらいました。そしてこの作業はその後の展開を大きく左右するものでした。金型が引き上げられた部品については、バックアップ金型の完成を待つ必要が無くなるからです。 最終納期が迫る中、これは本当に助かりましたが、常に危険と隣り合わせの作業でした。数百キロもある金型を人力で扱う危険の他にも「近くの工場から流出した有毒物質で水が汚染されている」とか、「コブラやグリーンスネークが物陰に隠れている」とか、「ワニ園から逃げ出したワニが水中に潜んでいる」という事実がありましたから。
そんな最悪な状況にあっても、NRTスタッフたちは真摯に行動してくれました。彼らも家族が被災しているにもかかわらず、現地に寝泊まりをしながら24時間体制で対応してくれたのです。
そして、水中からの引き上げ作業はついには成型機にまで着手し、7台の引き上げに成功しています。最終的に23台の成型機を救済しメンテナンスした後、NRT外注工場の「オーセン」に設置、暫定工程として稼動させました。現地での復旧の段取りにおおよその目途がついたのが、洪水発生から約3ヶ月が過ぎた1月頃でした。
工業団地のあたりは洪水で大変な状態に。
一方その間、日本でも製品調達とお客様への対応で数か月は不眠不休の状態が続きました。それまで各海外拠点で対応していたデリバリー業務を日本に集約し、一括管理する必要があったからです。応援サプライヤー様へ支給する成形材料の受発注業務も任されていました。そして多くの苦情も全て我々に向けられます。肉体的にも精神的にも本当に辛い思いをしました。
【被害内容】
INJ成形機(85台)、COMP成形機(53台)、自動配合計量システム(一式)、混練ライン(4ライン)、オーブン、各種試験機、他
量産金型:718面、量産部品:550点、
補給金型:919面、補給部品:770点
NRT正門 洪水前と洪水後 主衛棟が見えなくなっています。
感謝の念に堪えないお客様の気持ち、そして現地スタッフの献身的なサポート
前代未聞の「タイ洪水」を振り返って。
想定外の自然災害とはいえ、お客様をはじめ各方面にご迷惑をおかけした「タイ洪水」での工場停止。お客様からは厳しいお声も沢山頂きましたが、人的にも経済的にもご支援を頂きました事は今なお感謝の念に堪えません。おかげさまで、奇跡的にもカーメーカーのラインストップという事態は回避することが出来ました。そのうえ、他のサプライヤーさんで代替生産して頂いていたほとんどの部品を、NRT復旧後に返還頂くなど格別のご配慮を頂いています。これを機に、信頼関係は更に強固になったと思っています。
そして、NRTスタッフたちの献身的なサポートにも感謝しています。あらためて、当社のナショナルスタッフとの良好な関係を知ることとなりました。
お客様、協力会社様、多くの皆様のご厚意により、どうにか困難な局面を乗り切ることが出来ました。
あれから毎年、雨季に入ると「周辺河川の水位」「ダムの貯水量」などを監視して洪水に警戒しています。
その後、ロジャーナ工業団地は洪水対策として高さ4メートルの堤防を建設し工業団地全体を囲いました。工業団地側は「これで洪水を防ぐことが出来る」としていましたが、それで本当に安全であるかは誰も保証出来ません。我々は二度とお客様にご迷惑をお掛けするわけにはいきません。
現在NRTはプラチンブリにある304工業団地に新たに“304工場”を立ち上げ稼動させています。この地は海抜17メートルで地盤も強固、過去にも洪水被害の無い地域です。ロジャーナ工場には外部での代替生産が可能な材料練り工程と一部成形工程のみを残し、生産の主力を304工場に移しました。
費用と労力こそ掛かりましたが、安心、安全、お客様からの信頼を考えての選択でした。304工場の稼動により、実質的な復旧作業がようやく終わりを迎えたのでした。
- 設備は浸水、金型もどこかへ。目も当てられないひどい状況であった。
- 現地スタッフは自宅が被災しながらも工場復旧に協力を惜しまなかった。
PROFILE
第二事業本部 営業課長 波多野 伸夫
1968年(昭和43年)生まれ。1991(平成3年)入社。
ひとつひとつじっくりと仕事に取り組む実直な人柄であり辛抱強い性格である。タイの大洪水により被災した工場の復旧と顧客への製品供給を不眠不休で対応、現地・日本国内の関係者と協力しながら解決に導いた立役者の一人である。体格のいい風貌でありながら優しく穏やかな人柄は、社内のみならず取引先様からも愛されている。